恵美須ヶ鼻造船所跡は、萩藩が洋式の軍艦を建造するために築いた施設の跡地です。現地には、当時の規模そのままに防波堤が残っています。1853年、ペリー来航に衝撃を受けた幕府は、諸藩の軍備・海防の強化を目的に、大船の建造を解禁します。また幕府は1854年、萩藩に対して大船の建造を要請します。次いで翌年2月、幕府が伊豆の戸田村で洋式帆船を建造したことなどを受け、萩藩においても洋式軍艦を建造する機運が高まりました。萩藩は1856年4月、小畑浦の恵美須ヶ鼻に軍艦製造所が設立され、12月、萩藩で最初の洋式軍艦となる丙辰丸が進水しました。丙辰丸は海軍の練習艦として使用され、また、大坂(大阪)へ国産物を運ぶなどしました。その後、萩藩は更に技術者を長崎に派遣してオランダ人から知識を習得させ、1860年に2隻目となる庚申丸を建造しました。なお丙辰丸の建造にあたっては、萩市紫福にある大板山たたら製鉄遺跡(山口県指定史跡)の鉄が使用されました。
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